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要望型から提案型へ。市民の主体性をはぐくみまちを変えた「人が集う場」の力とは?
京都府

要望型から提案型へ。市民の主体性をはぐくみ まちを変えた「人が集う場」の力とは?
NPO法人 場とつながりラボhome’s vi

ファシリテーターという職種が定着しつつある。一般的にイメージされるのは、司会者のように会議の場を回したり、高技能の書記のようにホワイトボード上に発言記録を書き起こしたり。それらを意図的かつ臨機応変に行うことで、集まった人と人、人とプロジェクトの関係性をデザインする仕事だ。この記事では、「幸せな組織改革を行うファシリテーター集団、場とつながりラボhome’s vi(以下、ホームズビー)」が実施した「京都市未来まちづくり100人委員会」と「伏見をさかなにざっくばらん(愛称ふしざく)」、2つのプロジェクトの経緯と成果を、ファシリテーターとして関わった丹羽妙さんと山本彩代さんにうかがった。おふたりのお話から、市民協働型のまちづくりを成功に導くツボを発見していく。

記事のポイント

  • ファシリテーターは、人や組織の可能性を表出させる”助産師さん”
  • 「新しい民主主義だ!」京都市長の感動から始まった「京都市未来まちづくり100人委員会」
  • 市民が主役のまちづくりは京都市から伏見区へ拡大

人の本来持っている力を活かすファシリテーション

ー京都市と伏見区での実践のお話の前に、「ファシリテーター」というのがそもそもどんな文脈で生まれてきた職能なのか、お聞かせください。

丹羽
今日本に流れてきているファシリテーション技術の多くは米国発祥です。初めは1960年代に教育の分野で、メンバーやグループが成長するためのグループ体験の手法としてファシリテーションが生まれました。また、同時期に、まちづくりの分野で、コミュニティの問題を話し合う技法としてワークショップやファシリテーションが体系化されていきました。70年代になって、会議を効率的に進める手法として活用されるようになり、業務改革手法としての研究が進みました。最近では、新規事業開発、人材育成、組織開発、社内コンフリクトの調整など様々な分野でファシリテーターが活躍しています。活用の場の拡がりとともに手法自体も発展を続けていて、日本では、新潟や世田谷などのまちづくり活動の中で独自に発展を遂げたファシリテーション手法が存在しています。

(山本)
ファシリテーションという言葉には、容易にする、促進するという意味があります。また「話し合いの場の助産師さん」がファシリテーターの役割とおっしゃる方もいます。ないものを無理やり作るのではなくて、人や組織の中にある想いや可能性が自然に表われ出るのをお手伝いする、そんな役割だと思っています。

home’s viでファシリテーターとして働く山本 彩代さん(左)と丹羽 妙さん(右)

下敷きにあるのは“学生時代の魔法の時間”

ーホームズビーさんはファシリテーション専門のプロフェッショナル集団ですが、どのようにしてこの仕事を始められたのでしょうか?

丹羽
ホームズビーには今、5人のファシリテーターがいて、それぞれの専門領域を持って全国各地で活動していますが、活動を始めた10年前はファシリテーターという職業は日本にほとんどありませんでした。なので、数少ない海外の専門書を熟読しながら試行錯誤したり、海外のファシリテーターが集うペガサスカンファレンスに参加したり、国内随一のファシリテーター陣に学びながら技術を磨いてきました。また、ファシリテーションという手法にいちはやく興味を持ち、チャンスを与えたいと思ってくれた起業家やNPO、行政などから、企業研修やファシリテーション講座といった機会をいただきながら、一つ一つ場づくりの経験を積んできたという感じです。 扱う場の内容も、スキル研修などの比較的シンプルなもの始まり、対話を通したまちづくり活動の創出コミュニティの運営、企業・NPOの組織変革や、最新のファシリテーション研究プロジェクトのディレクションなど、領域を拡大してきました。最近では、「ティール組織」の研究・普及活動を行なっています。

山本
様々な対象、領域へ場づくりをさせてもらっていますが、場の哲学として10年間一貫しているのは、人をコントロールするのではなく、一人一人の想いや可能性を信じ、内側からの気持ちが湧き上がり、その力が生かされるように、場を整えるという感覚です。これを「優しい変革」と呼んでいたこともあります。また、課題だらけの世の中を改善していくというより、せっかく生まれたなら、この世の中を仲間ととびっきりの旅をして、楽しもうじゃないか。そんな等身大でポジティブな視点に立っていることも特徴かもしれません。

丹羽
この哲学がベースにあるので、最初はメソッドありきの場づくりに否定的でした。原点には、代表の嘉村が学生時代に体験した「魔法の時間」があります。

ー「魔法の時間」。魅力的な言葉です。どんなことだったでんでしょうか?

丹羽
嘉村は、中高生の頃はコミュニケーションが苦手で、友達ができても呼び捨てができず、ついさん付け、くん付けしてしまうなど、あまり人と打ち解けるのが得意ではありませんでした。でも、大学生になり、イベントとか何かしらのプロジェクトに参加すると、一緒に頑張る中で一体感が生まれて仲間になれた。それが嬉しくて、いろいろなプロジェクトに参加する中で、「場と人と時間」が研究対象になっていきました。毎回、会議を重ね、その会議の結果として本番がある。そのパターンを見ていったときに、会議の議事は毎回きちんと進んだけど結果的に予定調和で終わったイベントもあれば、会議はだらだらと馬鹿話をしながらごはんを食べただけだったのに、当日はすごい結束力が発揮されていいイベントになったこともあった。なんでこんなに違うのか、と場のあり方・過ごし方を観察し始めたんですね。それが、ファシリテーターの道をあゆむ始まりになりました。

それから、そうやってたくさん仲間とイベントをしていく中で、「作業で夜遅くなったからそのままうちに泊まっていいよ」みたいなことをしていくうちに彼の家にずっと人がいるようになっていったんですね。鍵もしないで開けっ放しにしておくと、自分がいない間にも人と人が繋がって魅力的な人同士のつながりができるっていう面白い発見をした。そのアイディアを発展させて、仲間と4人で広い町家を借りて、「一見さんお断り、ただし、一回来たら仲間だから24時間365日いつでも友達を連れて来ていいよ」というルールにしました。鴨川の西側にあるから「西海岸」っていったのかな。そこには、5年間で1000人くらい、いろんな人がわいのわいのやってくるようなコミュニティの基地になりました。

そこで起きたこと、目撃したことというのが、人の可能性だったり、人と人が本音で語り合ったときに生まれる奇跡だった。魔法の時間っていうのは、その西海岸で、夜中の丑三つ時くらいに時として現れた奇跡的な時間のことです。

山本
雑談とかからはじまって、いつのまにか誰にも相談しなかった悩み事とかを本音で話し始める魔法の時間。時には涙を流す人もいたりとか。そういう魔法の時間がもっと社会にあったら、街にあったらという発想が場づくり研究につながって来ます。

その後、嘉村と学生時代の仲間の多くは、、就職で京都から離れていきました。そして、嘉村が、就職後京都に戻った時に、西海岸コミュニティのように、自由で、お互いを深く知り、応援し合えるようなワクワクするつながりが、今度は、京都の街中に世代を超えて溢れていれば、どんなことが起きるだろう?という発想が生まれ、これを出発点に「京都きずなサミット」というイベントを開催したんです。

京都市長が「新しい形の民主主義だ!」

ー京都きずなサミットから、ファシリテーションがお仕事になっていったんですか?

山本
このイベントは2つの意味で鍵となるイベントでした。ひとつは、嘉村が初めて専門的な「手法」に則ってファシリテーションをしたこと。先ほどの哲学の話につながることなのですが、それまで彼はずっとファシリテーションの本を読まなかったんですよ。なぜかというと、手法が先にきちゃって現場の人を大切にできないんじゃないかとか、「知識として知っていてもね、、、」という現場第一主義だから。だけど、「オープンスペーステクノロジー」という手法を書いたハリソン・オーエンの本を読んだ時は、哲学に共感したんです。 もうひとつは、たまたま今の京都市長門川大作氏が来ていて、「これは新しい形の民主主義だ!」と感動し、「ぜひこれを京都市に提案してみたら」という流れにつながったことです。実は、会場を貸していただいた方が市長の友人で、たまたま「若い子たちが面白いことやってるから来てみたら」って誘われて参加していました。

ー具体的にはどんなイベントだったのでしょうか?

丹羽
「京都きずなサミット」は、学生時代のコミュニティみたいに、「本当に自分が大事だなと思うもの」を語りあったりとか、語り合った者同士が仲間になっていくことで京都という街が変わっていくんじゃないかという仮説のもとに企画されました。自分たちが持っているつながりの中から、素敵な人たちを呼んできたり、市内3箇所くらいで会場を貸し切って特別な集いの時間をつくったり。

山本
手法としては、参加している人の主体性を信じきる「オープンスペーステクノロジー(以下、OST)」を採用しました。

普通の会議と何が違うかというと、会議って普通は、主催者が時間と具体的なテーマをもとにあらかじめ構成しておいてから進めます。だけどOSTは、時間軸だけが決まっていて、コントロールをなくし、誰と何を話すかを参加者に信じて委ねるんです。ファシリテーターは、大きな問いだけを言う。せっかく、集まった人たちが、心から話したいと思うテーマで話してもらいたい、ということなんです。そして、情熱と責任を持って話したいテーマのある人が、前に出てみなさんの前で発表します。発表した人は話す時間と場所を宣言して地図に書き込みます。発表しなかった人は、私はこのテーマに関心あるからここに行くわ、と選ぶ。関心を持った人同士が集まって話し合いをするチームを、その場で作っていくというやり方です。OSTにはコントロールがない空間を支えるための4つの原則があります。1. ここにやってきた人は誰でも適任者である2. 何が起ころうと、それしか起こることはない3. それがいつ始まろうと、始まるときが適切なときである 4. それが終わったときは、本当に終わったのである

参加者を本当に信じてやっていく大規模ダイアログのファシリテーション手法であり、哲学なんです。

丹羽
このOSTという手法を使って自主的に開催した「京都きずなサミット」に着想を得て、市民・行政共汗型のまちづくり事業として事業提案をして採択されたのが「京都市未来まちづくり100人委員会」です。

「京都の未来をよくしていくために、わたしが取り組みたいテーマはなんですか?」という大きな問いからはじまりました。

148人の参加者の中から50ぐらいのテーマが出ました。実働チームにしていくために、5人以上の人が集まったテーマをやっていきましょう、ということで、最終的には13のチームができて。まず1年間、ということで走り始めたのが2008年度。いろんなプロジェクトが生まれて面白かったんですよ。

ーたとえばどんなプロジェクトが生まれましたか?

丹羽
ちょうど動物園の改築のタイミングだったので、市民が「どういう動物園がいいのか」を考えてまとめてみるとか。あとは、京都市美術館がマニアックで子ども受けしない、みたいな課題意識に対して、子どもが来やすい美術館にしてくれたら子どもが来るようにするよ、と市民が動いたりとか。アウトプットとして、子ども向けに「京都市美術館探検パスポート」を作って配りました。

2、3年目になると、メンバーがだんだんコミュニティ化して、自分たちがどうやって100人委員会を運営していくかみたいな話をした中で100人委員会を紹介するツールを作ろうというチームが現れて、自発的にやってくれはじめたりとか。

祇園祭りに使われる笹が山で枯れそうになっていて祭りに使えない、という課題に対して、里親プロジェクトをつくり、市民に株を配って育ててもらった。あとは、「京都(^0^)/にこわく」というプロジェクトは、子どもも大人もにこにこワクワクできる社会を目指して、、プレママ割のをいろんな飲食店や映画館にかけあって割引が受けられる「プレママ割」を作ったり、「にこわくフェスティバル」というイベントを開催して、妊婦体験や助産師さんのお話会をやったりと、現在まで活動が10年継続しています。

京都景観フォーラム、つながるKYOTOプロジェクトなど、NPO法人化した活動もありますね。

ー行政が市民の主体的な活動のきっかけを作ったことで、さまざまな活動が生まれたんですね。

丹羽
市が運営する委員会である、というしっかりとした器があったことで、対象となる組織や団体に市民の声がダイレクトに届いたし、市民もリサーチや声かけなどの地道な活動に汗をかいたり、立場の違う相手の考えを受け入れるなど努力し、行政も届いた声を聞いて政策に取り入れることを試みた、というのが「京都市未来まちづくり100人委員会」というプロジェクトでした。(その後運営主体はきょうとNPOセンターに変わり5期まで開催された)

このメディアは「地方創生」を「業界」として定着させ、そこで活躍する人を可視化し応援する為に生まれました。

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