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たまたま見つけてダイブした ここが “わたしが活きる” 場所
岩手県

たまたま見つけてダイブした ここが “わたしが活きる” 場所
岩手県久慈市 元地域おこし協力隊 藤織ジュンさん

「自分自身を発揮して楽しく生きたい」人間なら誰もが持つ願いを叶える場所を、自らの行動力で見つけた人物を紹介したい。 藤織ジュンさんは2018年9月、地域おこし協力隊の任期を終える11月末に先立って、合同会社プロダクション未知カンパニーを設立した。今後は久慈に残り、PRを軸に自分で自分の仕事をつくっていく。

久慈市はメガヒット朝ドラ「あまちゃん」の舞台となった人口約3万6000人のまち。藤織さんは3年の任期中、観光海女として潜水技術を磨きながら、観光協会の戦力としてまちをより多くの人に知ってもらう活動に尽力してきた。東京出身の藤織さんが、なぜ久慈市に移住し、事業を起こして住み続ける道を選んだのか。思いやプロセスを伺った。

記事のポイント

  • 1枚のポスターをきっかけに劇団員から地域起こし協力隊へ転身
  • たくさんチャレンジしてたくさん失敗した3年間
  • 地域にはチャレンジできる余白がある。将来どうしたいかより今やりたいことをやり続ける

藤織さんは地域おこし協力隊として久慈市に赴任するまで、東京を拠点に演劇の世界で舞台に立っていた。地方公演が多く、さまざまな地方をめぐる中で「それぞれの土地で、地に足をつけて頑張っている人がいる。なんかいいな」とそこはかとない憧れを抱いていたという。そんな藤織さんに転機をもたらしたのが、久慈市での公演だった。道の駅でふと見かけた1枚のポスター。そこには、「海女募集」の文字があった。

「3ヶ月海女をしながら観光をPRする仕事の案内でした。その3ヶ月の間に予定されていた芝居がなくなってしまって、スケジュールがすっぽり空いちゃったんです。当時、芝居にも悩んでいたので、どこか知らない土地でやったことのない未知の仕事をして、初めての一人暮らしもしたら、すごい人生経験になる気がして。3ヶ月なら頑張れるかもしれないと思って応募しました。」

即採用された藤織さんは、そのポスターを見た2週間後にはまた久慈に戻り、観光協会が用意した住まいでの久慈暮らしが始まった。

ぶっつけ本番で潜りながら仕事をこなし、3ヶ月が終わるころには、藤織さんの心に「久慈に残りたい」という意志が芽生えていた。

「まだちょっと、こっちでやれるんじゃないかなとか、PRの仕事がしたいな、という気持ちがあって。それで、facebookで市長に直接アピールしました。新聞に取り上げられたりfacebookに投稿したことを書類にまとめて渡し、『ごはん行きましょう』って(笑)」

驚異の行動力を発揮した藤織さん。その原動力はなんだったんだろうか?

「3ヶ月の間に、久慈にはたくさんの魅力があるって気づきました。こんなに面白かったり素敵なところなのに、全然知られていなくてすごくもったいないなと思ったんです。もっとPRしたらいいけれど、芸能人を呼んだりするほどではないのかなと考えたときに、私ができることがある、私がここにいる意味があって、必要とされることがあるんじゃないかなと思ったんです。」

タイミングよく募集があった地域おこし協力隊に応募。面接を経て採用され、観光のPRを担うようになった藤織さんは主体性を発揮し仕事に取り組んだ。「やりたいようにやってきた。たくさんチャレンジしてたくさん失敗した」と3年間を振り返る。

「久慈市の地域おこし協力隊は始まったばかりで何をするのかはっきり決まっていなかったので、いつも自分から。最初、地域を盛り上げるにはイベントをやればいいのかなっていうのがあって、『やりたい』って言って強行したんですが、人も集められず、そのイベントをやって何になったのかを明確にできなかったり。それでも、後から後から『こんなことがしたい』っていっぱい出て来て、それをさせてもらえました。」

途中で辞めて地域を離れてしまうケースもあり、一筋縄ではいかない地域おこし協力隊だが、藤織さんは3年勤め上げ、任期終了後は起業して地域に新しい仕事をつくろうとしている。理想的といっていい展開だが、何がよかったのだろうか。

「地域おこし協力隊がオススメか?と聞かれると難しい。人によると思います。結構辞めた人も多かったですし、他の地域の悪い例も聞くので。でも、『これがやりたい』っていうのが明確にある人は残っている印象です。募集する側もふわっと募集して、入る側もふわっと入ってくると、『何しにきたのかわからない。いる意味がわからない』となって潰れていくんじゃないかな。どちらかにビジョンがないと、厳しいのかも。」

「でも、具体的じゃなくても何か『こういうようなことがやりたい』っていうのがあれば、地域にはチャレンジできる余白があると思います。あまり具体的すぎると、今度は『やると決めてきたこれがうまくいかなかったからもう終わり』ってダメになっちゃうこともあるので、臨機応変さも必要と思います。」

主体性や柔軟性といった属人的な内面は、受け入れる役場にとっては、採用時の判断が難しい要素だが、藤織さんが成功要因として挙げたのはそれだけではない。

「私がよかったのは、観光PRの仕事だったので一番最初に観光地を見せてもらえたこと。まずは自分が楽しんで、『こういうのが楽しかったです』ってfacebookに投稿する仕事ができたことです。最初に地域のいいところばっかり見られた。これは大きかったです。地域おこし協力隊を採用したら、とりあえず地域の観光地とか美味しいものとかいいところを全部並べて、1ヶ月くらいはおもてなししてあげてもいいんじゃないかなって思いました。」

「税金で遊ばせて」と、地域住民から否定的に見られるリスクはあるが、地元の人にとっては当たり前で気づかない地域の魅力を、住み始めたばかりの新鮮な目で発見してもらえるメリットもありそうだ。

また、久慈市内だけではなく東京や他の地方での仕事が程よくあり、得意分野を生かせたのもよかったという。

「もともと舞台をしていたので、人前に出るのは好きなんです。住んで自分で見つけたいいところを、外に出て、人の前で表現する機会をたくさんもらえました。」

ずっと好きなことをして生きていきたい

そうして3年間で積み上げた実績をベースに、自走を始めたばかりの藤織さんに、どんな将来像を描いているかを尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「私はやりたくないことの方が多いんです。だから、ちゃんと就職したことがなくて、舞台やったりナレーターをしたりバイトしたりしてきました。だから、これからも『これやりたい』って思ったことだけして生きていきたい。北三陸で自分が面白いなと思った仕事をして生きていったら、それを見てこういう自由な人もいるんだなあ、地方で移住してっていうのもありかもしれないとか、多様性っていうんですか、いろんな人が出てくると面白いのかなと思ったり。でも今、役場の起業支援セミナーとかで『これから何をしていきたいか?』ってそればっかり聞かれるんですが、言葉に詰まってしまいます。」

ここで、インタビューに同席していた久慈市シティマネジャーの千田良仁さんから助け船が出された。「じゃあ、今、何がしたい?」という質問を受けたとたんに、藤織さんから流れるように言葉が出てきた。

「地域おこし協力隊の業務としてfacebookでの情報発信をしていた間に、フォロワーもついて、けっこう見てもらっています。お金をもらいながらそれをやり続けたいです。それから、観光海女として、久慈の海だけでなく全国各地の水族館で潜ったり、海女のかっこうをして昆布や塩辛を売ったりしてきました。そういう、久慈市をPRする仕事はどんどん広げていきたい。台湾で「(ドラマ)あまちゃん」がすごく知られているのに久慈にはあまり来てくれていないので、台湾にもどんどんPRしにいきたいです。第一弾として、台北で行われた東北感謝祭というイベントでPRしてきました。」

「あとは、グッズをつくってお土産屋さんで売るのはもう始めています。仲良しのおばあちゃんの畑が山にあるのですが、山うどとかシロケとかウルイとか、そんなのがいっぱい採れるんです。採りきれないぐらいで、飲食店に送ってあげたりしてるんですけど、すごく好評なのでほかのところにも送ったりしたいな。」

(久慈を含む広域の)北三陸の人々は、謙遜から「うちの地元はなにもない」と言いがちだという。藤織さんは、せっかく来てくれた観光客に「何もないでしょ?」ではなく、「これが面白いんだよ、これがすごく美味しくてね」と言える地域性になればいいというビジョンを持っている。だからこそ、率先してSNSでいいところを拾い出し、発信していく。

「面白いこといっぱいやりたい」

誰かが担っていたポジションを埋めるのではなく、自らできることとしたいことをつなげて、お金を生み出す方法を編み出していこうとしている藤織さん。 久慈の地に根を張りながら日本中、海外にもアンテナを伸ばす藤織さんの存在と伝播力は、久慈や北三陸地域の可能性そのものだ。

●合同会社プロダクション未知カンパニー 概要

  • 所 在 地 : 〒028-0041 岩手県久慈市長内町23-5-51くまちゃんはうすD
  • 代表社員: 藤織 ジュン
  • 設  立 :2018年6月
  • 合同会社プロダクション未知カンパニー ホームページ

取材・文:浅倉彩

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