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大衆料理「魚汁」がスペシャリテに。文化を発信する食堂が地元客と観光客を惹きつける
沖縄県

大衆料理「魚汁」がスペシャリテに。文化を発信する食堂が地元客と観光客を惹きつける
糸満漁民食堂&エイトマンズシーバーグ

記事のポイント

  • 地元を発信したい島人とまちづくりのプロが食堂をオープン
  • お客さんが来ない…。地道に重ねたニュースになる場づくり
  • 創業4年目に次の一手。フィッシュバーガーで新店舗

沖縄本島南部の町、糸満(いとまん)は“海人(うみんちゅ。漁師の意)の町”として知られる。しかし時代の変遷とともに、古くからこの地に根づく「海人文化」が語り継がれる機会は、減少の一途をたどってきた。

急速にその色を失いつつあった「海人文化」の魅力を、時代に合った新たな形で発信し、再び地域の原動力にしていけないか。 そんな想いを抱いた魚屋の次男坊と、営利・非営利両面からのまちづくりをライフワークに掲げるプロデューサーが出会い、ふたつの個性的な飲食店が生まれた。「糸満漁民食堂」と「エイトマンズシーバーグ」だ。本稿ではこれらの店舗を仕掛けたおふたりにお話を伺い、それぞれの店づくりに至った経緯と、開店から現在までの変遷、そして「糸満」「海人」という地域コンテンツをフックにしたビジネス展開についてお伝えする。

糸満漁民食堂

「沖縄の魚は美味しい 〜食を通して伝えたい〜」をテーマに、2013年開業。那覇空港から車で約20分ほど、糸満市の西崎工業団地の一角にあり、地元客や観光客でいつも賑わう。看板メニューの「魚汁(さかなじる)」や「漁民飯(ぎょみんめし)」に加え、「本日のイマイユ(獲れたての鮮魚)」をバター焼きやマース(塩)煮など好みの調理法でいただく黒板メニューも好評を博している。

エイトマンズシーバーグ

那覇空港にほど近い瀬長島にある複合商業施設「瀬長島ウミカジテラス」に2017年オープン。エメラルドブルーの海を一望できるテラス席で、県産魚介パティを挟んだ「オリジナルフィッシュバーガー」や沖縄風天ぷらをアレンジした「フィッシュ&チップス」をカジュアルに味わえる。

沖縄には「サバニ」と呼ばれる漁船がある。珊瑚礁があって水深が浅い海域にも入り込める小回りの良さと、船速の速さを兼ね備えた小型の単胴船だ。厚い船底と薄い舷側をもつサバニは、網にかかった魚を引き揚げやすく、波やうねりを受けての揺れや転覆の際にも体勢が立て直しやすいのが特徴とされる。

今を遡ること600年以上昔、1500年代初頭ごろから、この機動的なサバニを繰って遠く南洋へと漁に出ていたことで知られるのが、沖縄本島最南端の町・糸満(いとまん)の漁師たちだ。彼らは「糸満海人(うみんちゅ)」と呼ばれ、ダイナミックな漁のスタイルから「ウミヤカラ(海の勇者の意)」という別名も冠されていた。彼らが獲ってきた魚は「糸満アンマー(お母さんの意)」と呼ばれる妻たちが売り歩いたという。1800年代初頭には海浜部を琉球石灰岩で埋め立て、船着き場を備えた漁民集落が形成されていった。1880年ごろに両眼式の水中ゴーグル「ミーカガン」を考案して漁業の発展に貢献し、“糸満のエジソン”と親しまれる玉城(たまぐすく)保太郎もまた、糸満海人のひとり。1900年ごろの沖縄県内の漁業専業者数においては、糸満海人が漁獲業(男性)で62%、販売業(女性)では99%に達していたそうだ。

色褪せつつあった「海人文化」という地域資源

しかし激動の20世紀に入り、廃藩置県から第二次大戦、そして米軍占領下から日本本土復帰という時代の大きなうねりの中で、漁民の町・糸満も大きな様変わりを余儀なくされる。圧倒的なシェアを誇っていた糸満海人が、2010年時点では県内の全漁業者数のわずか4.5%にまで減少。市の中心部にある「まちぐゎー(商店街)」や公設市場でも、時代が下るにつれて魚を売る業者の数が激減していく一方だった。

そんな状況を憂えていたひとりが、玉城(たましろ)弘康さん。魚の卸小売を家業とする家の次男として生まれ、那覇で飲食店を経営していたが、いずれ地元・糸満で海人文化を発信できたら、と願っていた。

糸満市の魅力を発信すべく情熱を燃やす玉城弘康さん

「実家の商売のためにも、もっと魚が売れるようになればいいのに、というのは前々から思っていたことでした。ただ、糸満は漁師町といいながら『じゃ、おいしい魚を食べられるところを紹介してよ』と言われると、紹介できる場所がなかった。さらに、糸満にあるJAのファーマーズマーケット(うまんちゅ市場)が県内随一の規模ということもあって、だんだん『糸満は野菜がすごい』と言われるようになって。確かに農業も盛んだけれど、糸満はもともと魚で栄えた町。魚も盛り上げたい、という想いがずっとありました。」

そんな玉城さんに2012年、ターニングポイントが訪れる。共通の知人から紹介を受けて知り合った、株式会社ナノ・アソシエイツ代表取締役の浅(あさ)雄一さんとの運命的な出会いだった。

価値を再構築するプロデューサーとの出会い

浅さんが代表を務めるナノ・アソシエイツは、全国でコミュニティデザイン・ソーシャルデザインの視点からまちづくりのプロデュース、施設開発や事業開発の設計やデザインなどを行うプロ集団。さらに浅さんはNPOも複数立ち上げ、過疎化が進むなど社会的課題の多い地域で、デザインやプロデュースの力を活用して課題を解決する、という取り組みでも多数の実績を重ねていた。

まちづくりのプロ ナノ・アソシエイツ代表の浅雄一さん

「2010年には沖縄県から依頼を受け、産業支援の専門家として県内企業のブランディング指導などを3年ほどやらせてもらっていました。ちょうどその頃ですね、彼(玉城さん)と出会ったのは。」

浅さんと玉城さんは同い年ということも手伝い、すぐに意気投合。「地元糸満の魅力の発信をやりたい」「沖縄の魚はおいしい、ということをもっと伝えたい」と語る玉城さんに、浅さんは「手伝えることがあれば」と協力を快諾。

しかし当時はまだ、具体的なビジネスプランは見えていなかったという。玉城さんは「改めて糸満のことを勉強し直さなければ」と地元の恩師の人脈をたどり、市役所の海人課(水産課)や生涯学習課などを訪れて情報を集めていった。

市役所で出会った糸満の海人文化に造詣の深い人にすすめられ、ある本を取り寄せて読み始めた玉城さんは、そこで大きな衝撃を受ける。

「本の導入部に糸満のアンマーが紹介されている箇所があり、そこに僕の母方の祖母の名前が載っていたんです。『おばあが載ってる!』って本当にびっくりしました。それと同時に何か運命的なものと、勝手に使命感みたいなものも感じましたね。これは、やるべくしてやらなければいけないのかな、と。」

“漁師飯”を現代の味覚に合わせる

メニューづくりにあたっては「糸満海人工房・資料館」からも貴重な情報を得た。

「資料の中に、代表的な漁師飯として『魚汁(さかなじる)』の名があったんですが…僕らとしてはあまりに身近すぎて、どう紹介していいかよくわからなかった」という玉城さんに、助け舟を出したのは浅さんだった。

「昔の味をただ単純に復元しただけでは、糸満の海人文化を魅力的なものとして新たに発信していく上では弱いのではないか」と感じていた浅さんは、東京・西麻布の中国料理の名店「麻布長江 香福筳」のシェフ、田村亮介さんの監修を受けることを提案したのだ。

「もともと沖縄料理と中国料理は遠い親戚のように感じていたので、沖縄の魚をおいしく、という切り口なら、純和食よりも中国料理の方が合う、という直感がありました。田村シェフは発酵調味料も自家製でつくるほどの “旨みの達人”。昔の文脈を汲み取りながら、新しいおいしさをつくってくれるはず、という確信がありました。」

その後のメニュー開発のプロセスの中では、「糸満の漁師飯として本当にこれでいいのか、という迷いも正直あった」と語る玉城さんだが、最終的には浅さん側が押し切った形に。「今思えば、よくこちらの言い分を聞いてくれたと思います。」

試行錯誤の末、魚汁は昔味と新味の2種類を開発。昔味は魚に豆腐・ニラだけを加えた、昔ながらのあら汁風。新味は炒めた野菜を一番出汁で炊いて旨みを引き出し、そこに自家製芝麻醤を加え、最後に蒸した魚を載せて味をなじませるという、香ばしいごま風味が効いた一品に仕立てた。

中華風味に仕立てた新味の魚汁

沖縄の魚は脂乗りが少なく、淡白な味わいのものが多いが、玉城さんは「火を入れすぎないように気をつければ、上品な甘みやとろけるような舌触りを楽しめるのも沖縄の魚の特徴」という。

これに、4種の薬味と特製「しびれ醤油」(詳細は後述)で食べる刺身丼の「糸満漁民飯」、イカスミ汁、マグロの出汁を使った「濃厚魚汁そば」を加えたグランドメニューが出来上がっていった。

琉球石灰岩の石積みで漁民の町・糸満を表現

玉城さんと浅さんのこだわりはメニューのみならず、空間づくりにも現れている。

「糸満がそもそも石で埋め立ててつくられた町だった、ということと、個人的に沖縄の城が好きだったので」という浅さんが提案したのは、赤瓦葺きでも古民家風でもなく、石積みの城(グスク)風建築。さらに、「社会性と地域性を汲み取った店づくりを」という浅さんの想いは店内のレイアウトにも貫かれ、「お客さんの席の高さを変える」という発想も飛び出した。沖縄の海と島々をモチーフに、「島が海にいくつも浮かんでいて、そこに屋根が乗っかる」かのようなしつらえは実に独創的だ。

琉球石灰岩を使った内外装の石積みの施工は、「石積み体験ワークショップ」と題してのべ50〜60名の市民の参加を募り、3日間おこなった。

「地元の人を巻き込み、参加してもらうことで、この店をみんなに“主語”として使ってもらえるようにしたかった」というが、「石積みは実際、まったく楽じゃなかった!」とふたりは声を揃える。

血マメをつくりながらの力仕事に苦心しながら完成させた建物は、2013年のグッドデザイン賞、JCDデザインアワード(金賞・笈川誠賞)をはじめとする数多の賞を受賞。昔ながらの手法を守り、また町並みの保全意識に重きを置いたことが評価された結果だった。

ところが2012年2月のオープン直後から、こだわりの建物は暗礁に乗り上げてしまう。

「店がおしゃれ過ぎて入りづらい」という地元からの声が、少なからず聞こえてきたのだ。

沿岸部の工業地帯に突然出現した見慣れない建物で、しかも一見して食堂にも見えない。さらに店内に入れば、不思議な場所に柵があったり段差があったり。店ができるまでの顛末を知らない地元の人々にしてみれば、入りづらいのは至極当然のことだった。

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