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理想と概念を具現化し経済をつくる。「九州パンケーキ」を産み育てた事業家の頭の中
宮崎県

理想と概念を具現化し経済をつくる。「九州パンケーキ」を産み育てた事業家の頭の中
有限会社一平 代表取締役 村岡浩司さん

ローカルから九州全域を巻き込むリージョナル(地域)へと視点をあげ、様々なプロダクトを生み出す事業家 村岡浩司さんの取り組みは、本拠地をおく宮崎はもちろん九州ではあまりにも有名な存在。著書「九州バカ-世界とつながる地元創生起業論」には、これまでの自身の失敗も赤裸々に、経験から基づく具体的な学びが惜しげもなく書かれています。

そんな「九州のリーダー」というイメージの強い村岡浩司さんに、来歴や仕事に対する考え方を伺いました。

記事のポイント

  • アイデアや事業の取捨選択は「九州」を軸に判断する
  • 自分のやりたいことから思考する。頭の中の概念がムーブメントになる快感
  • 事業性の追求と地域コミュニティへの貢献は表裏一体

モヤモヤ幼少期。渡米と起業。28歳での出直し。

ーどんな学生でしたか?

「人の目を気にする子供だったように思います。母音がうまく発音できない吃音(きつおん)症だったこともあって、表に立たないように、いじめられないようにうまく立ち回っていたと思います。グループの中でもフォロワー的な存在で、自分がなにかを提案するというよりは、どこかのグループにくっついている、そんな自分でした。人から笑われないように、どうやって生きていけるかをずっと考えていました。」

ーいまのリーダーシップを発揮している村岡さんとは、ずいぶんイメージが違いますね。

「高校生のときに山岳部に入って、先生が自分をキャプテンに指名してくれました。そのときに自分がやらないといけないという立場にたって初めて、リーダーシップを発揮するようになりました。そこから部活も楽しんでやっていたように思います。一方で、もっと自分を変えたいという気持ちが大きくなってきたのも、この頃のように思います。」

ー人生を振り返って、村岡さんが「人生の転機」になったと思うことは?

「高校を卒業してアメリカに行ったことです。モヤモヤとした幼少時代を過ごしていたので、自分を変えるために、誰も知り合いのいないところで、もっと違う世界を見てみたいと思って渡米しました。今でこそ留学が珍しくなくなりましたが、当時は僕の通っていた高校からはたった一人だけ。いまでは理解できないレベルで期待も大きかったけれど、不安も大きいものでした。スマホなんて存在しないから、簡単に調べることもできなかったので(笑)」

アメリカ留学時代の村岡氏


 88年4月から2年間アメリカに住み、渡米1年目で学生起業をして、やがて大学を中退します。生まれ育った環境と全く違う世界に、意志をもって飛び込み、ゼロから関係性をつくり生きることは、「もう一度、人生を生まれ直す感じだった」と話します。当時、一緒に古着屋を立ち上げ起業したアルゼンチン出身の仲間は、いまでもコロラド州の田舎町で古着屋さんを営んでいます。一方、村岡さんは日本に帰国後、故郷の宮崎では初となるビンテージショップを開き、年に2,3回はアメリカに買いつけに行く生活をするように。

 一見、順風満帆に見えた初めての起業でしたが、そんな生活は長くは続きませんでした。28歳になった春、ビンテージショップの経営に失敗し、大借金を抱えて廃業するという挫折を経験します。それまで「一切、継ぐ気がなかった」実家の寿司屋に戻り、皿洗いからのスタートとなりました。(ここから今の事業家へと進化するプロセスは、著書「九州バカ」に細やかに書いてありますので、ぜひご覧ください)

「九州バカ-世界とつながる地元創生企業論」

アイデアは「九州」とかけて必然性を判断する”九州事業家”

ー村岡さんが前へ、前へと進む原動力は何ですか?

「自分に何ができるかを証明したいのかもしれません。それは、自分自身に対しての挑戦です。チャレンジした先の世界が見たいだけです。ずっと思考を深めていくと、やがてアイデアの種とも言える新たな『概念』が生まれます。『概念』そのものは、自分の頭の中にあるだけなので、他の人には伝わりづらい。でも、それを具現化してリアルなものにする行為そのものが起業家の醍醐味だし、世の中に受け入れられれば、それが次に繋がっていく現象となる。」

「例えば、MUKASA-HUB(廃校になった小学校をリノベーションしてコワーキングスペースをつくった)も、オープンする前は構想を話しても、ほとんどの人がその必要性も感じていなかった。銀行さんも“コワーキングって何ですか?”って聞いていたくらいなので(笑)。でも、実際に動き出してから、形になり、人が訪れるようになると、それは新しい起業家の集うコミュニティというリアルな現象となりました。現象を作り続けた先に、結果としてムーブメントがおきるのは快感です。

ー村岡さんがいま抱いている「概念」は?

「僕の頭の中に散らばっているアイデアの種や事業領域のレイヤーを横串に刺すのは、“九州”というキーワードです。だから、僕らがいま作っているプロダクトには、すべて『九州-Kyushu-』という冠がつきます。20〜30個うまれたアイデアの種を実現可能なものから整理していき、それを九州ブランドというコンセプトに当てはめて必然性があるかどうかを検証する。最後まで生き残るアイデアは1つか2つですが、それを具現化してみると、思わぬ方向にもやがて広がりがうまれます。そうやってチャレンジしていく過程でまた新たな概念がうまれる、という繰り返しです。」

ー村岡さんの様々なチャレンジは、そのように生まれるんですね。


「事業プランを考えて計画書を作るのが大好き」と笑う村岡さんは、概念が浮かんでくると、まずはそれを具現化するビジネスプランまでを気軽に作ってみるそうです。

「アイデアがうまれると、まずは企画書を書いてみます。一旦、事業プランまで落としてみるのです。初期のプレゼン資料は、まだ“概念”の状態です。ビジネスプランをつくり、社内外を含めていろんな方々に相談する過程で、概念がよりシャープに研ぎ澄まされてきます。ただ、作っただけではファンタジーのままです。それを実際に形にして、具現化することで現象が生まれます。」

 ノートパソコンの中には、常に100以上の企画書があるのだとか。その中で、実際に形にすると面白そうと判断したものにチャレンジしています。


ーその中から実際に形にするものは、どうやって選んでいるのですか?

「これは、本当に自分がやりたいことか?を何度も問い直して、判断します。そもそも自分より優れた技術でやろうとしている人がいたら、自分がやらなくてもいい。技術力とは「資金」「人」「アイデア」を掛け合わせて総合的に判断した上で優越が決まるもの。どんなに“面白そうだ”と感じていても、広い世の中には自分より優れた人たちだらけだから、そう簡単に優位性のある実現可能なアイデアは生まれません。

「それよりも、もともと自分がやりたいと思っていたはずなのに、いつのまにか人の期待や義務感でやっている状態にならないように注意しています。そうなると、想いの薄い、つまらないものになってしまいますから。多少、わがままになっても自分がやりたいことに忠実でいること。そうして生まれたサービスにはファウンダーとしての情念が宿っていて飽きることがない。事業が成長して、結果的に他人への幸せに繋がるといいなと考えています。」


 そんな村岡さんの携帯の待受画面には、そのことを忘れないようにと、こんな言葉が記されていました。
【自分の喜びを追求する行為が、他人の幸福への奉仕につながるものでありたい】
(ホンダの創業者 本田宗一郎さんの言葉)

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