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沖縄の魚を「インバウンド」から「アウトバウンド」のコンテンツに変えた、小さな地域商社に見る「地方創生のリアル」
沖縄県

沖縄の魚を「インバウンド」から「アウトバウンド」の
コンテンツに変えた。
小さな地域商社に見る「地方創生のリアル」。
【株式会社 萌す】

記事のポイント

  • 必要に迫られた起業という選択
  • 沖縄産の魚のニーズはどこにあるのか
  • 海外の市場でぶつかった課題とそれを逆手に取った打開策とは

沖縄の魚と聞いて最初に想起されるのは、水族館やダイビング、シュノーケリングではないだろうか。いずれも“観る魚”。日本人のおそらく大多数にとって、青緑色、黄色、ピンクに紫といった極彩色が鮮やかな南洋の魚は“観賞用”であり、食べることを思い描く人は少ない。だが、世界ではどうなのか?

株式会社萌す(きざす)は、沖縄本島南部の漁師の町、糸満に拠点を構える社員数4名の小さな商社だ。同社が取り扱うのは、沖縄近海から水揚げされる鮮魚。もちろん観賞用ではなく食用で、その出荷先は沖縄よりも南に位置するアジアの国々。業績は設立以来3年連続右肩上がりで、2017年の年間売上は初年度の約5倍にまで成長を遂げている。 「観てキレイな魚」だった沖縄近海の魚を一転、「食べておいしい魚」に仕立てた“知恵者”の思惑とは——。「地域の価値づくり」というキーワードをたぐりながら、ひもといていく。

株式会社萌す(きざす)

2015年設立。沖縄県内の漁港でせり落とした鮮魚を、シンガポールや台湾、タイ、香港などのローカル飲食店へダイレクトに卸す貿易事業を主軸とする。さらに「地域商社」として地域事業の創出、特に「食えない」地域で「食っていけるしくみ」を事業化するという一見無理筋な取り組みにも情熱を傾けている。

食材としての沖縄の魚に可能性を見出す

沖縄・那覇の国際通り近くにある「牧志第一公設市場」。ここを初めて訪れる人は、程度の差はあれ誰もがカルチャーショックを受けるはずだ。精肉店の店先では豚の頭や顔、耳に驚き、青果店では内地ではなかなかお目にかかれないトロピカルフルーツや珍しい島野菜の数々に歓声を上げる。そして鮮魚店の氷の上には、見たこともないカラフルな魚や不思議な形の貝、エビなどがずらり。同じ日本でありながら、こんなにもエキゾチックな食文化が沖縄にはあるのか、と驚かされる場所なのだ。

市場内では鮮魚店が多くの面積を占めていることもあり、一見すると「沖縄の人は魚をたくさん食べるのかな」という印象を与えるかもしれない。しかし残念ながら、魚の需要は沖縄においても全国並みに年々、冷え込んできている。近海の魚が、貴重なタンパク源のひとつとして人々に常食された時代ははるか昔のこと。今は他県同様、肉食文化に押されて久しい。

漁業を営む人々の生活は年々厳しくなり、たとえ子どもが継ぎたがっても「食べていけないから」と親が反対し、継がせない。これでは何年後かには担い手がいなくなる、という、おそらくは日本中の漁村部で起きているのと同じことが、ここ沖縄でも着実に進行しているのが現実だ。

そんな沖縄で、魚を扱うビジネスに可能性を見出したのが、「萌(きざ)す」の代表取締役である後藤大輔さんだ。

国内では評価されにくい沖縄の魚を、東南アジアで売りさばく革命児

「沖縄は観光地としてはすごく強いけれど、食材は弱いと思いませんか?もちろんおいしいものもあるし、他にはない珍しさもある。だけど、沖縄の食だけを目当てに、飛行機に乗ってまで来ますか?そこまでの求心力はないように思うんです。肉はそれでもまだ、石垣牛やアグー豚といったブランド肉が定着してきているかもしれない。では、魚はどうか?水族館やダイビング・シュノーケリングで“観る”ものとしてなら、魚は最強ですよね。でも、たとえば水族館のガラス越しに観た時の『わぁっ』っていうテンションが、食卓に出てきた時にもあるかといえば、疑問ですよね。そういう、ある種やりづらい沖縄の“魚”という食材を、ビジネスとして攻めたら面白いんじゃないか、革命が起こせるんじゃないか。そして魚がある程度うまくいったら、他の食材にも展開していけるんじゃないか。そう考えたのが、『魚を扱ってみよう』と思い立つきっかけでした」

「これ売って生活できるんですか?」
小学生の問いに、しばし沈黙

萌すを起こす前は観光事業に携わっていた後藤さん。民間の観光案内所を運営し、県内のさまざまな地域で着地型観光を推進する中で、感じていたことがあった。

観光商品をつくったり、イベントをやったりして地域に人を送り込めば、その一瞬は潤うし、楽しい。でも、地域にとってそれはカンフル剤でしかなくて、それで地域が365日メシを食えるか?といえば、食えないですよね。沖縄は、人がすごく来る地域と、全然来ない地域の二極化が激しくて、来ない方は本気でヤバいです。特に離島では、職業の選択肢が限られていて、働き口がなければ島を離れるしかない。そんな厳しい現状を目の当たりにするうちに、『何か地域の人々の本業である漁業や農業のプラスになる仕事はできないか、そうすれば彼らが地元を離れずに済むんじゃないか』、と思うようになっていきました」

そんな後藤さんが実際に魚を扱い始めるきっかけは、とある小学生が発したひとことだったという。

「ある島の高級魚の養殖場に、小学生が見学に行くということで、僕がコーディネーターとして案内したんです。養殖場の方がひと通り説明を終えた後で、何か質問は?と聞いたら、沖縄本島から来た小学生が『これ売って、生活できるんですか?』と。養殖場の方も僕も一瞬固まってしまって。船も子どもたち以外ほとんど乗っていない、島にも人があまりいない、コンビニもない、という島の現状を子どもなりに見て、『どこに売るの?』『誰が買うの?』と。至極もっともな質問なんですが、しばらくの沈黙の後で養殖場の方がぼそっと『売れないんだよね…』と(笑)。今だから笑えますけど、その時は怖いくらい笑えませんでした」

実は後藤さん、養殖場が操業開始以来何年間もずっと赤字と聞いていたし、とある離島の港の食堂でも「ずっと家賃払ってない」という話を聞いたこともあった。

「よくよく考えたら何年間も赤字って…家賃払ってないって…養殖場も食堂も、ビジネス形態として崩れちゃってますよね」

誰かがどうにかしなければ、いつ本当の破綻が来るかわからない。

「そう思ったらつい、口走っていたんです。漁協の関係者や海人(うみんちゅ。漁師の意)もいる場で、『魚、売りましょう。売れますよ』と。まあ勢いで、社交辞令的な感じもあったんですが。そしたら『お前、本気か?』『どこで売るんだ?』とみんな真顔で。引っ込みがつかなくなっていたら、紙が出て来たんです。『売買参加者承認申請書』、つまり市場で直接漁師から魚を買い付ける権利(いわゆる“せり権”)を取得するための用紙でした」

せり権を得るには書類の提出のみならず、売買参加章の交付料や保証金としてまとまった費用が必要になる。

「『お前の本気を見せろ』という意味だったわけですが、もうこうなったらやってやると、お金も用意して。当時はまだ今の会社を興す前だったので、後藤個人として振り込みましたよ」

そうして2015年、最初のせり権を得たのをきっかけに後藤さんは会社を設立。“本気半分・勢い半分”ながら新たなビジネスに飛び込んでいった。

このメディアは「地方創生」を「業界」として定着させ、そこで活躍する人を可視化し応援する為に生まれました。

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